2012年 7月 の記事

ガーデンテラス長崎ホテル&リゾート。

世界で活躍する建築家・隈研吾氏の設計・デザインと

長崎港を望む抜群のロケーションを誇る‘ガーデンテラス長崎ホテル&リゾート’は、

余計な装飾を一切省いたシンプルなデザインが特徴です。



一見、美術館のような外観。

それもそのはず、隈氏は美術館なども設計しているお方のよう。



なにしろ建物が大きすぎて写真におさまらない。



内装も洗練された大人の空間といった感じ。

ホテルの敷地内にいくつも点在する建物。

とりあえず目に飛び込んできた一番大きな建物に入ってみたら、

フロントは別棟だというので移動します。




長崎港を望む斜面に建つので、少し坂を下る。



フロントのある建物へ。



モダンテイストな外観。

2階には鉄板料理のお店。



オープンテラスにはプールがある。



そんなに大きくはないけれど、リゾート感を充分に演出してくれてる。


 


フロント入口付近に種類豊富なドリンクと美味しそうなお菓子たち。

まさか…ウェルカムドリンクはお好きなものを的な!?



さすがにそんなわけない。

冷たいお茶を頂きました。

アルコールを含む様々な飲み物は、ドリンクバーで

別途料金らしい。



ソファーやテラスで寛ぎながら頂けるようです。




対岸に長崎市街を望む素敵なテラス。



プールに入りながら景色を楽しむもよし。

けれど入るにはちょっと勇気がいるかな(笑)

チェックインを済ませ、お部屋へ。


 


先ほどの一番大きな建物にあるゲストルームへ案内してくれます。





建物好きな私には、ときめく要素だらけ。

しかもこの雰囲気は大好物。



開放感のある大きな窓。


 


明るい木目調の家具と内装は、今どきなスタイル。

カジュアルな雰囲気がまたいい。


 


全てにおいてゆとりを感じる。

タオルの本数も必要以上に置いてある。

設備だけでなく、ささやかなサービスにもてなしの心を感じる。


 


そして、なんといってもこの眺め。

夜は広々としたバスルームから長崎港の夜景を。



アーバンリゾートと呼ぶに相応しい極上の空間。

部屋から出るのがもったいないくらい。




日常の喧噪から離れ、至福のひとときを過ごせる。



せっかくなのでバルコニーで一息つきます。



このホテルのHPを見つけた時は、是非ここに泊まってみたいと思った。

実際のところ、想像以上に贅沢な空間。

ここは長崎の今を代表する最高のホテルだと思う。

<追記>

2012年7月9日(月) 18:30~。

ゲストルームの上階にあるレストラン‘フォレスト’にて

フレンチのディナーを頂きます。



やはり眺望が素晴らしいレストラン。




夕暮れから夜景に変わっていく様子を眺めながらのお食事。


 


コース料理は、口コミの評価が高いので期待大。


 


口コミはあてにならないと思う時もあるけど、ここのは本物だった。

次の一皿が楽しみなくらい、どれも美味しい。


 


オープン3周年記念のサービスとして、タラバ蟹の一品料理(左)を頂きました。

おしみなくタラバ~。

長崎牛のフィレ肉も絶品。

佐世保名物レモンステーキではイマイチだった長崎牛。

ここで名誉挽回。



デザートはシンプルが程よい感じ。

質もサービスも大満足。

食事だけでも利用したいくらい。

充分過ぎる料理に満たされた後は、テラスに移動して一服を。



改めて長崎港の夜景に心奪われる。

ああ、なんと贅沢な時間。


 


何から何まで、とっても気持ちよい滞在でした。

長崎市内に宿泊するなら、絶対ここがオススメです。


『長崎市内観光②匠寛堂・平和公園』 へ続く。

稲佐山山頂展望台。

2012年7月9日(月) 16:30頃、稲佐山山頂展望台へ到着。

夕方の山頂は気温が若干低め、風も吹いてて半袖では少し肌寒い。



山頂までロープウェイで上ることも出来るけど、移動ついでに

車で立ち寄りました。

展望台は無料で入れますが、付近の駐車場は有料。

最初の20分は無料、以降30分につき100円です。


 


展望台の中心は吹き抜けになっており、周りのスロープを歩きながら

眺望を楽しめる。



時々ソファーに座って、ゆっくり眺めるもよし。



眼下に広がるのは、長崎港。

さっきまでいた長崎市街やグラバー園を対面に望むポイントです。



スロープは開放感抜群の全面ガラス張りなので、

まるで空中散歩しているみたい。

360度の方角を眺めながら上っていきます。

港をはじめ、海や山方向、それぞれの景色を楽しみながら屋上へ。



これぞ標高333mの展望台から広がる大パノラマ。

晴れていれば五島列島、雲仙、天草まで見渡せるとか。




夜は宝石箱を散りばめたような夜景が目の前に広がる。

そう、長崎港は日本三大夜景のひとつ。

‘1000万ドルの夜景’と称される眺望は、さぞ素晴らしいことでしょう。

本日宿泊先のホテルは、稲佐山の中腹に建つので、

夜景は部屋から眺めることにしました。


『ガーデンテラス長崎ホテル&リゾート』 へ続く。

長崎市内観光①オランダ坂・グラバー園。

2012年7月9日(月) 午後。

共楽園への道中、新地中華街を通り抜けました。



横浜の中華街より若干こじんまりしている雰囲気。

所々、長崎テイストなお店が点在してる。

ちょっと興味深いお店を発見。



‘スナック&喫茶 どん底’ の看板。

店名の選択肢は他にもあっただろうに…なぜ‘どん底’を?(笑)

インパクト大。

さて、眼鏡橋よりオランダ坂へ、来た道を戻る感じで向かいます。

オランダ坂は長崎市内の観光スポットとして有名ですが、

特に何があるというわけではなく、ただの坂道。



昔、長崎の人々は東洋人以外の外国人を「オランダさん」と呼んでおり、

そのオランダさんが歩いていたことから名付けられたとか。

かつて外国人居留地だった頃の情緒が残る石畳の坂道を上ります。

歩き始めてしばらく、ラッセル記念館の前で

やたらと親切なお兄さんに出会う。


 


頼んでないのにすすんで写真を撮ってくれたり、近辺の観光名所を

紹介してくれたり。

てっきりこの建物の関係者だと思っていたら、タクシーの運転手さんだった。

せっかくの親切を無駄にするようで申し訳ないけど、勧められた場所の方から

歩いてきたので、また戻るつもりはない。

行きの料金はタダでいいと言ってくれたけど、丁重にお断りした。

急な坂道を夏場に歩くのは結構しんどい。

ここで引き返し、次なる目的地‘グラバー園’へ。



グラバー園へ続く坂道。

この辺りは、お土産屋さんや飲食店などが軒を連ねる活気ある通りです。

松が枝国際ターミナルからすぐなので、外国人観光客も多い様子。

特に今朝方入港した中国人の団体さんとよく出くわす。

陽射しが強く暑い中をかなり歩いてきたので、ちょっと休憩。



びわソフト。

真夏のソフトクリームは格別に美味しい。

涼しい店内の休憩処で一息つきます。

そしていよいよグラバー園へ。

あいにく携帯が電池切れを起こしたので、紹介できる写真があまりない(笑)

グラバー園は長崎を代表する観光名所で、幕末期・明治時代の洋館が建ち並ぶ。

日本の近代化に貢献したトーマス・ブレーク・グラバー氏の旧グラバー住宅

(国指定重要文化財)など、緑や花に囲まれた園内に点在する

9棟の歴史的な洋館を見学できる。



丘の斜面にあるので、動く歩道が大変ありがたい。

正直、散々歩き回ってからの上り階段はキツい。

なが~い動く歩道を2つほど上ると、園内で最も高い場所である展望広場へ辿り着く。

ここには、旧三菱第2ドックハウスが建つ。

修理の為に船が造船所へ入っている間、乗組員たちが宿泊した施設です。

明治29年に造られた典型的な西洋風建築で、上下のベランダを8本の柱が支えてる。



このベランダから見下ろす長崎港の景観は、なかなか素晴らしい。

小高い丘から順路に従いながら下っていきます。

輸入住宅の展示場にノスタルジックな雰囲気をプラスした感じ。

数々の邸宅の中で最も印象的なのが、やっぱりグラバーさんち。

旧グラバー住宅は、1863年に建てられた日本最古の木造西洋建築。

長崎では‘日本最古’によく出合う。

建物フェチの私には、ときめくポイントがたくさんある。

実際、中に入って見学できるので遠慮なくおじゃまします。

迷路のような構造の大きな平屋は、当時にしては豪邸だったのでは!?

グラバーさん、お金持ちだったのね。

造船、採炭、製茶貿易業を通して我が国の近代化に貢献した偉人ですから

当たり前か…。

日本人の奥様ツルさんは、もしや日本初の国際結婚か!?

こんな素敵なお屋敷に住めるなんて羨ましい限り。


『稲佐山山頂展望台』 へ続く。

共楽園。

2012年7月9日(月) 13:00過ぎ。

長崎港常盤ターミナルより、徒歩にて市内観光へ繰り出す。

でもその前に、先ずは昼食を。

長崎といえば、‘ちゃんぽん’じゃないですか~。

せっかくなので、地元の方々に評判というお店へ。


 


長崎旅行の予約をする1ヶ月程前、たまたま旅番組で紹介されていたお店。

港から市街へ徒歩15分くらい。

見たまんまで、すぐ分かった。



THE 庶民の味方価格。

お店の雰囲気もそんな感じ。

結構ボリュームあると言ってたので、‘ちゃんぽん’と名物‘そぼろ皿うどん’を注文。

3人で取り分けて食べます。


 


ちゃんぽん(左)は、具沢山で見た目よりアッサリしてる。

旨味も程よく、あくまで普通に美味しい穏やかな仕上がり。

そぼろ(=五目)皿うどんは、一度揚げた太麺に

特製のスープを絡めて味付けしているらしい。

独特な食感の麺は、香ばしくてなめらかで深い味。

これはクセになりそうなお味。



う~ん、確かに…近所にあったら間違いなく通ってしまいそう。

地元の方々に親しまれる美味しさ…納得です。

<追記>

共楽園の目の前を流れる中島川には、由緒ある石橋がいくつも架かってる。

なかでも有名なのが、日本最古のアーチ型石橋‘眼鏡橋’。


 


アーチと川面に映るその姿を合わせると、眼鏡に見えることから

そう名付けられた。



現存する日本最古のアーチ型石橋だそうで。

なんとなく歩く川沿いの歩道は、気持ちいいですよ。


『長崎市内観光①オランダ坂・グラバー園』 へ続く。

軍艦島を後に…。

2012年7月9日(月) 午前。

島内の見学を終え、桟橋へ戻ってきた。



周遊と見学で約80分。

時間を忘れるほど、大満足な内容だった。

ここへ来る目的の為だけに、長崎を訪れる価値はある。

都会ですら鉄筋コンクリート造の建物が少ない時代に、

既にここには高層の鉄筋アパートが建っていた。



狭い土地を有効利用し、暮らしの知恵を集結したような島。

数々の日本初!という革命を起こした島。

近代化産業遺産群の構成資産の一つとして、また新たな歴史を刻もうとしている島。

サラバ、軍艦島…またいつか訪れる機会があるといい。



興奮冷めやらぬまま船に乗り込み、気分がよいので

再び展望デッキへ。

帰港の途中、船内でB’zのプロモーションビデオが流された。

軍艦島で撮影されたものだ。

はっきり言って、アーティストより背景の方が興味深い。

この調子だと、軍艦島の写真集まで買ってしまいそう(笑)



高速船マーキュリーは、長崎港へ到着。



このでっかいお船は、すぐお隣の長崎港松が枝国際ターミナルに

停泊している国際船。

今朝方、中国から入港したそう。



この度、お世話になったガイドの美佳子サンと一緒に記念撮影。

いい旅の思い出が、またひとつふえた。


『共楽園』 へ続く。

軍艦島上陸③第3見学広場。

2012年7月9日(月) 午前。

いよいよ、最後の見学会場へ。

ここには鍛治工場、製缶場、坑内機会修理工場、仕上工場、倉庫、下請住宅などの

主に採炭関連施設が建っていた。

また、高層アパートを陸から近くで見学できる唯一の場所。



炭鉱で必要な器具を製作する鍛冶工場。

南側の壁が崩壊しており、建物内部がバッチリ見える。

風化が進み過ぎて、当時の様子はさっぱりわからない。

2階の床が崩れ落ちるのも時間の問題かもしれない。

目線を奥へ。



お?あれは、第1見学広場から見えた怪しげな気を放つ!?30号棟。

日本最古、7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパート。

1916年(大正5年)に、鉱員社宅(住居戸数140)として建設。

のちに下請会社の社宅としても利用されたとか。



建物には内庭の吹き抜けを囲むように廊下と階段があり、

地下には売店があったとか。

大正5年に内庭と吹き抜け構造!?聞いて驚く。

とってもオシャレだ。

是非内部を見たいでしょう?

2010年3月、特別な許可のもと、テレビ番組の収録で軍艦島に入った時に

撮影した画像を紹介している方の写真を拝借しました。



「ロ」の字型の構造は、波や風のはげしく当たる場所に立つ為、

採光部を中心にとるという苦心の末の設計だったそう。



各階に共同のトイレと洗面所、炊事場があり、住人達のコミュニティーの

場としても重要な共同空間となっていたようです。

それにしても、建物内に入れるなんて…羨ましい限り。

さて、第3見学会広場へ参りましょう。



がんばって建ってます。

外壁と柱で、かろうじて支えられている感じ。

階段が崩れ落ちていて、もはや2階には上れない。



この先が最後の見学会場。

それにしても見事なほど青い空。

晴れてて良かった。



第3見学広場の手前に、ぽつんと取り残されているのは仕上工場。

ここでは炭鉱で必要な物の製作や修理を行なっていた。

2階には工場員のための食堂と風呂があったそう。


 


この辺りは、殆どの建物が崩壊してしまったせいか広々としてる。

なんとか持ちこたえているこの建物がなくなってしまったら、

より閑散としてしまいそう。

仕上げ工場よ、これからも頑張って建ち続けておくれ。



仕上げ工場の奥には、30号棟と31号棟を筆頭に

高層アパートが所狭しと建ち並び、端島病院の方へと繋がっている。

軍艦島は、狭い土地ながら施設の方は非常に充実していた。

娯楽施設では映画館やパチンコ店、居酒屋、テニスコート、プール、雀荘などまで揃っていた。

もちろん病院や郵便局、消防車庫、派出所、町役場などの

暮らしに欠かせない施設も充実していた。

お風呂に関しては各部屋毎には設置されておらず共同浴場が主流だったが、

人口の割にその数は少なく労働者用の共同浴場の水は常に真っ黒だったと言う。

基本的な施設は揃っていたが異常なまでに高い人口密度による

暮らしへの弊害は数多くあったそう。


 


ここでは厳しい自然環境に対応するための工夫が、その建物からも伺える。

例えば、常に潮害にさらされる為、窓枠やベランダの手すり、

一部の渡り廊下には鉄を使わず、木を使用している。

台風などの強風、波浪から島を守るため、外洋に面した建物は

防潮壁としての役割を負っている為、波が押し寄せる海側はアパートの廊下。

居室は山側に面していたので、室内から海は見えない。

オーシャンビューなんて悠長なことを言ってられない状況。

現在、高層アパートが密集しているエリアは、崩れ落ちた木の窓枠やガラスなどの

瓦礫が通路を塞いでいるんだとか。

先ほどの30号棟を正面から望むポイントが第3見学広場。



30号棟(右)と並んでいる建物(左)は‘防波棟’と呼ばれる、

31号棟(RC造6階建て)の鉱員社宅。

防潮壁も兼ねている為、堤防に沿うようなかたちで建てられている。

地下に共同浴場、1階には郵便局や理髪店があった。

その隙間からこっそり見える奥の建物は、職員用社宅の25号棟。

1階には島内唯一のスナック‘白水苑’が、1~2階は島内唯一の旅館‘清風荘’があった。

これらの廃墟群に背を向けると…



プールの跡。

1958年(昭和33年)、25mプールと幼児用プールが併設された。



もともと端島小中学校の前にあったプールが台風で大破した為、

ここに移転建設された。

当時は海水を使用していたそう。



この辺りは外洋側南西部で、船で言う‘ブリッジ’の場所にあたる。

台風などでひとたび海が荒れると、一番激しい風雨、波が打ちつける場所。

あれも波の仕業かな!?

第3見学広場のある場所は、島の拡張工事で造られた箇所。

埋め立てに使われた土砂は、炭鉱から掘り出された土が使われており、

そのなかには商品にはならない石炭の破片(ボタ石)が含まれている。

以上が見学会場の全て。



来た道を戻る。



ああ、名残惜しい。


『軍艦島を後に…』 へ続く。

軍艦島上陸②第2見学広場。

2012年7月9日(月) 午前。

軍艦島の衝撃的な光景を目の当たりにしながら、第2見学広場へ進みます。

ゴロっと横たわるレンガの塊は、おそらく建物外壁の一部でしょう。


 


鉱山施設があったこのエリアは、その殆どが崩壊している。

かなりハードコアな世界。

島は外洋に面している為、台風が直撃すると防波堤を超える大波が押し寄せて、

自然の力が建物を破壊してゆく。



第二竪坑坑口桟橋跡。

竪坑(たてこう)とは、垂直に掘り下げた坑道、運搬路や通気に用いる。

坑口(こうこう)は、坑道の入り口。

すなわちここは、採炭のため鉱員の昇降や採掘された石炭の荷揚げ・坑内の通気等

に設けられた坑道入口に繋がる桟橋というわけです。


 


階段を上り、桟橋のすぐ隣にあった坑口よりケージと呼ばれる

エレベーター状の箱に乗って昇降していたそうです。

地下垂直600m以上を分速約480mで下降し、

約80秒で坑底に到着する事が出来たとか。

採炭は命がけのお仕事、生きて地上に上がれる保障はない。

気温30度、湿度95%という悪条件のもと、ガス爆発など

常に危険と隣り合わせの仕事は、とても過酷なもの。

現在かろうじて残る桟橋への昇降階段部分。

生きて再びこの階段を下りることを切に願いながら、桟橋へ上ったことでしょう。

朝からせつないお話を聞き、清々しい青空のもと大変暗い気持ちになる。



鉱山の中枢であった総合事務所。

ここは指令塔でもあり、統括する本部だったそう。

また、炭鉱マンの為の大きな共同浴場があり、浴槽はいつも真っ黒だったとか。


 


かなりダイナミックな崩れよう。

赤いレンガは、かつて第三抗捲座があった建物の壁面。

捲座(けんざ)とはワイヤーロープ巻上機のことで、今で言うエレベーター機械室のこと。

第三竪坑閉鎖後は資材倉庫として使用されていた。



廃墟に背を向けて堤防を見ると、海底水道の取込口がぽっかりと口を開けている。

水道敷設前は野菜船の船着場だった。

ちなみに、国内で海底水道を敷設したのは軍艦島が初だそう。

1957年(昭和32年)に海底送水管が敷かれるまで、飲料水などは

給水船で運ばれ、高台にある貯水槽より数か所の共同水栓から配給されていた。

風呂の水は海水を沸かしたもので、上がり湯だけしか真水を使えなかったが、

敷設により給水制限はなくなったらしい。



見学道路を歩きながら、次のポイントへ。

先を行く人たちが写真を撮っている辺りから、もう一度

第2見学広場の方を振り返る…


 


こんな感じ。

軍艦島はアクセスの困難さと立ち入りが制限されている為、

心ない者に荒されることは殆どなく、自然の力で朽ち果てている。




形あるものはいつか崩れるのが宇宙の法則であり、自然の摂理。

立地上、自然の猛威を受けやすいとはいえ、人の手を離れたものが

いかに脆いものかを知ると共に、知恵や技術が豊富な現代で

人が与えるエネルギーの素晴らしさも感じる。

必要な措置をとれば、保存や維持は難しくないのではないかと思う。

重要文化財、さらに国宝の扱いを受けている建造物は、手厚く保護され

補修を繰り返して今にその姿をとどめている。

この島に廃墟美を感じながらも、現在ここに残された歴史の産物を

全て失ってしまうのは、とても惜しい。

2009年1月5日、世界遺産暫定リストに掲載されたというが、

はやく認定されてしまえばよいと思う。


『軍艦島上陸③第3見学広場』 へ続く。

軍艦島上陸①第1見学広場。

2012年7月9日(月) 午前、軍艦島に上陸。

観光客の上陸は2009年4月末から可能になった。

これに先立って長崎市は、桟橋や見学用の通路などを整備し、

工事は2008年6月11日から始まり、2009年3月27日に終えている。


 


冒険心が駆り立てられる。

これから上陸できる時間と立ち入り可能なエリアは限られている。




模型の赤い線部分(ざっくり線引きしてみた)が見学ルート。

この整備された見学道路以外は、立ち入り禁止。

①~③の各見学広場ごとに、ガイドさんの説明を聞きながら進む感じ。




端島港へ降り立ってすぐ、崩れた外壁の間から目の前に広がるのは

いきなり朽ち果てた光景。



いくつも連なるコンクリートの柱は、貯炭ベルトコンベアーの跡。

ここはかつて貯炭場で、精炭(精選された石炭)は支柱の上にあった

ベルトコンベアーによって運ばれていたそう。

周りの風景と同化して分かりにくいでしょう?



写真を加工してみた。

鳥がとまってる所に支柱があります(笑)


 


見学用に整備された道を通って、第1見学広場へ。




見るもの全てが刺激的。

ここは別世界。

静寂な雰囲気と廃墟な風景が少し怖い。

ハウステンボスのようにライトアップしたら、さぞおどろおどろしいことでしょう。

先ずは第1見学広場にて、ガイドさんが島のいろいろを教えてくれる。



建物や当時の貴重な写真などを見せながら、詳しく説明してくれるんです。

お姉さんが掲げている写真は、ベルトコンベアーが現役?の頃。

その全体像をしっかり留めている頃の写真。

とても参考になる。


 


北を望むと崖の上に聳え立つのは3号棟(RC造4階建て)。

昭和34年建設、住居戸数20の職員社宅。

数少ない風呂付のアパートで、三菱社幹部職員の住まいだった。

課長職以上が週末に定例会をしていたことにより、別名‘土曜会社宅’

とも呼ばれていたそう。

屋上は開放されており、端島で人が上がれる最も高い場所で、

視界360度の眺めは最高だったとか。

エリートの館から目線を手前(左方向)に移す。



貯水場跡(崖上)と中腹には、なだらかな道がある。

端島神社や65号棟、端島小中学校の方へと続く山道。

一部崩落していて、ここを歩くのは見るからに危険そう。

この崖は、島の拡張前に海に面していた部分。

斜面の左下辺りに注目。

なにやら怪しげな建物。



こころなしか、雲の形が建物から‘気’を放ってるようにも見える。

あれはおそらく30号棟と思われる。

日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造である高層アパート。

詳しくは追って紹介します。



第1見学広場のすぐ目の前に広がる光景。

選炭機という施設があった所と思われる。

既に大部分が崩壊してる。



今度またここへ来る機会があったとしても、その時はどうなっているか

分からない建物ばかり。

たとえ建物は崩壊しても、ここには古い歴史が眠る。


▼軍艦島の歴史▼

1810年(文化7年) 初めて石炭が発掘される。
1870年(明治3年) 開抗。
1890年(明治23年) 三菱社が炭鉱を買収、本格的海底炭坑として操業開始。
1916年(大正5年) 日本初の鉄筋高層アパートが完成。
1945年(昭和20年) 第二次世界大戦の最中、米軍に幾度かの爆撃を受ける。
1974年(昭和49年) エネルギー転換政策の推進に伴い、閉山が決まり無人島と化す。


ざっと振り返っただけでも、革命的な出来事が多い島。

繁栄と衰退を物語る歴史の遺物は、生と死、光と影(陰)を連想させる。

私にはそれらが力強く見え、物哀しくも見える。

日本の高度経済成長期を支えた底辺の時代を垣間見ている気がする。


『軍艦島上陸②第2見学広場』 へ続く。

軍艦島周遊。

2012年7月9日(月) ‘軍艦島コンシェルジュ’の午前便ツアーに参加。

長崎港常盤ターミナルを出航し、軍艦島へ。

通過するポイントごとに、ガイドさんが様々なエピソードを聞かせてくれる。


 


三菱重工長崎造船所を通過し、女神大橋をくぐると

高速船マーキュリーは大海原へ向かって一気に加速する。

船の設備が良いので、快適なクルージング。

出航からおよそ30分、東シナ海に浮く小さな島のすぐ先に軍艦島を確認。



軍艦島は南北に全長約480m、東西に幅160mほどの島。

採掘技術の発達と共に、周りを6回にわたって埋め立てる形で

護岸堤防の拡張を繰り返し、現在の島の形状になった。



見学用に整備されたドルフィン桟橋より、写真の右方向へ

少しずつ移動していきます。

桟橋を起点に左回りで島を一周してくれるようです。



!!!船が左側に傾いてる気がする。

進行方向左側が軍艦島なので、乗船客が左側の座席に移動してきたからだ。

それはさておき、いきなり見ごたえある風景。

ガイドさんの説明と共に、船はゆっくり進む。



かなり高低差がある島だこと。



建物崩壊の恐れがある立ち入り禁止エリアは、島の周りから見るしかない。

ガイドさんの説明によると、こんな感じ(…だったはず!?)


 


端島小中学校は昭和33年に建設されたRC造7階建て。

1~4階が小学校、5階・7階は中学校、6階には講堂・図書館・音楽室

などの特別教室が設けられていた。

建物名:65号 東棟・南棟・北棟(RC造9階・10階建て)は、

住居戸数317の鉱員社宅で、島内最大のアパート。

屋上には幼稚園があった。

この小さな島にとって、屋上は有効活用の場。

アパートの屋上に土を運び、花や野菜を育てていたとか。

これが日本初の屋上菜園だったといわれています。



模型で見ると、こんなんなってる。

高層の建物だというのに、エレベーターはない。

9階、10階まで階段を上がるなんて…今ではとても考えられない。

わざわざ下まで降りなくてもいいように、端島小中学校と隣接する65号棟アパートの

9階部分は、直結した非常用連絡通路橋が架かっていたそうです。




端島病院より裏手の方へ回ります。

望遠レンズを付けたカメラ、もしくは双眼鏡があれば

もっと楽しめるかも。



想像を絶するスケールに唖然とするばかり。

殆ど隙間無く高層の建築物が建ち並んでる。

かつてはこれら全てに人が住んでいたと言うのだから驚き。


 


この小さな島に五千人以上もの人々が暮らしていた時代もあり、

ピーク時は東京の約十倍の人口密度で、世界で最も人口密度が高い土地だった。

驚異的な人口密度の為、軍艦島に住む事ができず近くの半島から通勤していた

労働者もいたらしい。



人口密度の高さ故に地上から地下に至るまで土地は利用し尽され

高層の建物が所狭しと密集している。



ありとあらゆる場所から隣接する建物への橋が架けられていて、

建物の構造上の複雑さは、まさに迷路のようなんだとか。

高低差もあるので、七階から隣の建物の三階に橋が架かっていたり…

四階から地上へ直結する階段があったりなど。


 


白っぽいアパート:51号棟は、昭和36年建設(RC造8階建て)の鉱員社宅。

もう少し、あと少し近付いてくれたらいいのに…なんて思う。

建物はいつ崩れてもおかしくないというので、ある程度の距離を

とらなければならない決まりでもあるのかな!?



この建物は、既に上の方(屋上?)が崩れてる。

でも、危険を冒して建物内に入ってみたい。

その廃墟っぷりを肌で感じてみたいが、叶わぬ願い。

2003年に無断上陸した方のブログによると、この辺りから侵入したそうな。

ガッツだね。

その時の写真を見ながらレポートを読んでいたら、興奮して眠れなくなった。

端島(はしま)は、戦艦「土佐」に似ている事から軍艦島と呼ばれるようになった。

その名に最もふさわしく見える場所へ移動。



なるほど…その姿は島と呼ぶには違和感すら感じる。

何も知らずに遠目で見たなら、大きな船と勘違いしてしまいそう。

軍艦島には火葬場や墓地などは無く、引き取り手のいない無縁仏などは

写真左手の小さな島で埋葬されたそう。

船は島を一周して桟橋の方へ。


 


近寄ると意外と整備された桟橋。

波の上下、潮の満ち引きに合わせて桟橋が上下する構造の船着場で、

当初は画期的な発想だったようですが、1954年(昭和29年)完成の日本初の桟橋は

昭和31年の台風9号で流出。

昭和33年(1958年)完成の2代目も翌年の台風14号で流出。

これらの経験を元に、1962年(昭和37年)護岸から15mの海底岩盤を3m掘り下げ、

25m×12m、高さ15mの人工島に桟橋を組み込み、

台風の猛威にも耐えうる頑丈な3代目が完成したそうです。


 


こんな機会は滅多にないので、惜しみなくシャッターをきる(笑)

ちなみに‘ドルフィン’は、船舶けい留のため水中に設ける柱状構造物で、

陸から孤立しているけい船岸で、けい船杭ともいう。

イルカとは全く関係ないらしい。


 


着岸し、いよいよ軍艦島へ上陸です。


『軍艦島上陸①第1見学広場』 へ続く。

軍艦島コンシェルジュ。

軍艦島(正式名称:端島)は昔の炭鉱で、現在は島全体が廃墟と化している。

1890年頃から本格的な海底採炭が始まり1974年に閉山。

小さな島に所狭しと建ち並ぶ高層建築物の群は、

軍艦のような外観から軍艦島と名付けられ、国内最高峰の歴史的廃墟群とされる。

とても興味はあったが、気軽に行けるとは思っていなかった軍艦島。

昨日の今日で急遽行けることになり、テンションは急上昇。

軍艦島を周遊、上陸してくれるツアー会社はいくつかある。

先ほど間違えて辿り着いた長崎港ターミナルにも、別会社の受付窓口があった。

今回、私達が利用するのは‘軍艦島コンシェルジュ’。

昨日、長崎空港で手に取ったパンフレットの中で最も分かりやすく、

それでいて丁寧な案内だった。

これもご縁。

2012年7月9日(月) am 9:45 常盤ターミナル 受付へ。


 


必要事項に記入してツアー代金を支払うだけ。

あとは見学者証を首から提げて待つのみ。




集合時間まで隣の待合室にて、軍艦島のいろいろを予習することが出来る。

大型モニターから流されている映像を視聴したり、壁一面に飾られた貴重な写真を見たり。

島の模型だってある。



これからここへ行くんだと思うと心躍る。

ツアーの出航は一日2便。

午前便 10:10 頃集合と、午後便 13:30 頃集合のどちらか。

所要時間は2時間20分。

乗船後、船内にてガイドさんの説明から始まり軍艦島を船で一周、そして上陸という流れ。

ツアー代金は、平日乗船料金(3,600円)+軍艦島入場料(300円)で、3,900円。

観光地としてある程度整備される以前、一般人は軍艦島へ行く正規のルートがなかった。

長崎港からの観光船や海上タクシーに乗って軍艦島を周遊する事は可能だが

上陸はできない。

個人で漁業を営む漁師さんと直談判し、漁船をチャーターして行くしか術はなく、

漁船は軍艦島に最も近い島である高島でのチャーターが効率的で

相場は2万円~だったらしい。

それでもチャーターできるかどうかは確実ではない。

軍艦島の立ち入りは禁止されているので、交渉から現地での行動に至るまで

終始注意が必要だったとか。

(2003年、無断上陸に成功した方のブログ参考)

今となっては堂々と上陸できる。

立ち入りが制限されているとはいえ、3,900円で参加できるならお手頃な価格。

am 10:10

船の準備が整ったとのことなので、乗船します。


 


船内にてガイド説明、ならびにDVD視聴が始まる。

大変丁寧で分かりやすい説明は30分くらい。

軍艦島の歴史などを改めて確認。

そして万一に備え、船長さんより救命胴衣の使用方法を説明され

いよいよ出航。

せっかく天気が良いので、展望デッキへ移動します。


 


デッキにもモニターやスピーカーが設置してある。

ガイドさんの説明がちゃんと聞けるし、参考映像などもしっかり見れる。

軍艦島到着までの30分間、通過するポイント(造船所・橋・島など)のことまで

細かくガイドしてくれる。

快適な設備に親切なサービス。

スタッフの方々の対応も感じが良い。

軍艦島コンシェルジュのツアーにして大正解。


『軍艦島周遊』 へ続く。

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